2012年5月21日。 日本各地で金環日食が観られるそうだ。 中でも神奈川県は全国の中で最も美しい金環日食が全域で観測できる恵まれた地とのことで、普段は天文学とは縁遠い湘北バスケ部の面子もこぞって日食グラスなんぞを用意していた。 さすがの堅物・赤木も、その時ぐらいは一旦朝練を中止し、バスケ部の全国制覇を日食に向かって祈願しよう、と言い出したくらいだ。 「これ逃すと、次は18年後ぐらいまで観れないらしいからな。 18年後ってえと・・・36歳か。 しかも北海道。」 三井は「ズバリ解説!金環日食ガイド」を捲りながら、付録の日食グラスで体育館の天井のライトを見上げた。 気が早いにもほどがある。 普段は他人のことなど無関心な流川までもが、日食には大いに関心があるらしくチラチラとこちらを窺っていた。 「21日の7時33分41秒に完璧な金環日食が観れるんだとよ。 おい、皆でカウントダウンしようぜ?」 「クラッカーでも鳴らします? それにしても、22日はスカイツリーがオープンするし、同時にソラマチも、でしょ? イベント続きっすね。」 「おいこら。 もっと大事なイベント忘れてんだろーが。」 「え? 他に何かありましたっけ?」 「俺の誕生日。 忘れてんじゃねーよ。」 「ああ。世界一どーでもいいイベントっすね。」 肩を竦め立ち去る宮城に三井が睨みを利かせ、それに気付いた木暮が「そうだったね、三井の誕生日だ!」とわざとらしく声を張り上げ取り敢えずその場を収めた。 赤木が「こんな奴の誕生日を祝う必要なんかない」と言いかけたのを、必死に彩子が留める。 「俺、商品券でもいいからな。 部費払ってんだからそんぐらい還元してくれてもアリだろ?」 「先輩、お言葉ですがバスケ部の財政は大赤字ですよ。 還元なんてとてもとても。」 彩子がすかさず部の出納帳を見せる。 三井は眉間に皺を寄せて真っ赤赤の出納帳を検閲し始めた。 「この備品代っての、めちゃくちゃ掛かってね?」 「桜木花道と流川がしょっちゅう揉めるでしょ? その度に巻き込まれた子たちの分ですよ。 あと、先輩が使うコールドスプレー代もかなり掛かってます。 先輩、しょっちゅう脚攣らしたりしてるから。」 三井は耳が痛いとばかりに出納帳を彩子に返した。 ざまあみろ!と宮城が向こうで舌を出している。 「プレゼントは金環日食、なーんてどうすか? 天文ショーがプレゼントなんてロマンチックでしょ。 元手掛からないし。」 ニヤニヤと宮城が提案すれば、赤木もそれで我慢しろ、と言い放った。 「有難くて涙が出るな。 忘れらんねえ誕生日の前日になりそうだぜ。」 三井は捨て台詞を残して部室に引っ込んだ。 *** 屋上でのんびり昼食を摂りながら眩しい太陽を三井は見上げた。 隣では徳男たちがガイドブックを見ながら金環日食についてワイワイと論議を交わしている。 こいつらも日食なんてモンに興味あんのか・・・と多少薄気味悪さを感じた三井だった。 「みっちゃんはさー、どうすんの。」 「どうするって?」 「金環日食観るんだろー? みっちゃんいいよな、早起き得意だし。」 「部活あるしな。 おめーらは夜遊びしすぎなんだよ。」 「鉄男君も観たいらしいよ、金環日食。」 「ああ、アイツ意外と月とか星とかそんなん好きだもんな。 太陽は苦手だと思ってたけどな。」 鉄男が律儀に7時に起きて日食グラスを太陽に向けている画が浮かんで、三井は堪らず笑った。 「まさか、日食暴走とかしたりしねーよな。 金環どころか、銀の環ッパ腕に嵌められちゃアホだぜ?」 「それはしないだろー。 意外と常識人だよ鉄男君は。」 「アイツは意外性がありすぎて困るっつーの。」 あ、と徳男が思い出したように手を打つ。 「そーいや、みっちゃんの誕生日、日食の次の日だよね。」 「なんかよこせよ。 本当なら、18なったら鉄男がバイクくれる予定だったんだけど。 それまでに免許取って。」 「その辺予定狂ったよね。 バスケ部戻っちゃったから。」 「来年取るからいいんだよ。」 久々にバイク乗りてぇなあ、と三井は零した。 「あれぇ、ミッチー不良に逆戻り?」 ちょうどその時、屋上に通じるドアが開いて、水戸がいつもの面子と一緒に顔を覗かせる。 「現ヤンに言われたくねーな。 お前なんか無免のクセに。 チクったろか。」 「おー、やだね。 恩も何もあったもんじゃないね。」 「何言ってんだ。 お前がぶつけたバイク、鉄男に頼んでタダで直してやっただろ。」 そうでした、と水戸は舌を出した。 いつもより、一人足りないのに三井が首を捻りながら尋ねる。 「桜木は一緒じゃねーの?」 「ゴリに体育館でしごかれてるよ。 シュートの特訓だって。」 「ほー。 そりゃいいや。」 「ゴリも大変だよな。 花道はパワーはあってもシュートみてえな、ある程度の計算とか緻密さが必要なことって、とことん苦手だからな。」 「柄じゃねえんだろ、きっと。」 「やっぱ、そこはミッチーが助けてあげるべきなんじゃない?」 「時給1000円くれたらな。」 個人教授代としちゃ安いだろ?と手を出すと、水戸は軽くその手をはたき返す。 「純粋に部活楽しもうよ、ミッチー。」 「アイツに付っきりで教えてたら、苦労苦労ばっかりだろーがよ。」 そりゃそうだ、と笑いながら水戸は煙草を取り出すと、吸う?と三井に差し出した。 「じゃあ、助言くらいはしてやってよ。 一本恵んでやっから。」 「いらねーって。 それに一応は看てやるよアイツのことは。 ほら、先輩だし?」 「そりゃ、頼もしいね。」 今度は煙草の代わりにミントガムを一つ。 じゃあ、お代官様これでご勘弁、と水戸はおどけて見せた。 三井もそれなら好かろうと、多少芝居じみた仕種でそれを受け取る。 「あ、それね、誕生日祝いも兼ねてっから。 よく噛んで紙に包んで捨ててね。」 「セコっ。」 「差し歯にくっつけないようにね。」 それを聞いて、大楠や忠、高宮がゲラゲラ笑った。 徳男たちも口を押えて必死に堪えている。 三井はそれを無視してガムを口に放り込んだ。 差し歯の前歯にくっつかないように慎重に奥歯で噛みしめる。 「『息だけは福山』 になれっかな?」 「ずいぶん古いよ、ソレ。 大丈夫。 ミッチー、イケメンだから。 息もイケメン、マジ、イケメン。」 「マジでか。」 「そうそう。 この世の女はみんなミッチーのもんよ。」 「ガッキーもか。 エリカ様もか。」 「そうそう。 みんなミッチーにメロメロよ。」 「ヤベエな、それは。」 「そうそう。 ヤバイのよ。 みんなミッチーに抱いてほしいって寄ってくるよ。」 「抱かれたい男No.1目指すか。」 「うんうん。 目指して、目指して。」 不毛な会話を続けているうちにチャイムが鳴る。 みっちゃん、そろそろ行かねえと、と意外に真面目な徳男が促すと、三井は頷き立ち上がった。 「あれ、サボりじゃねえの?」 「一年坊主と違って単位がやべえんだよ。 しゃーないから行くわ。」 「大丈夫大丈夫。 ミッチー、イケメンだから。」 「イケメンでも単位貰えねーんだよ。」 「あはは。 英語のエミちゃんでもタラしちゃえばいいのに。 ミッチーのテクで。」 「ばっか。 ゑみちゃん幾つだと思ってんだ。 57だぞ。 犯罪だろーが。」 「女は歳じゃねーよ。」 「女じゃねーよ。 おばあちゃんだよ。 俺が無理だよ。」 「あっはは。 じゃあ仕方ないね。 いってらっしゃい。」 笑いながら水戸が手を振るのを背中で受け止めながら、三井は教室へ向かった。 *** 5月21日当日。 湘北高校の在る地域は若干薄雲の翳りが見えたものの、まずまずの天気であった。 三井含むバスケ部は、朝練を一旦中止し、屋上へ集合して空を見上げていた。 忙しなく日食グラスを透かして見て、わいわいと歓声を上げている。 「こら、キツネ! 寝んならいっそのこと月に帰ってお天道様に焦がされて来い!」 「月に帰るのはウサギだ。 どあほー。」 「え? 月に帰るのはかぐや姫だよね? お前たちここまで来て喧嘩すんなよ。」 木暮が的確なツッコミを入れつつ二人を諌める。 「俺は、彩ちゃんへの永遠の愛を金環ビーナスに誓うよ。 これは俺から彩ちゃんへの誓いのリングだよ。」 「はいはい。 後で本物頂戴ね。」 宮城の熱烈な告白はいとも簡単に春風に流され、後にはお決まり通り俯く宮城の姿があった。 そんな様子を見て、ばっかじゃねーの? と三井は鼻で嘲笑った。 「ほらほらほら、みっちゃん! そろそろリングできるよ! ほらほらほらぁ!」 「うっせーよ。 わかってんよ。」 バシバシと肩を叩く徳男の手を払いのけて、三井はグラスを覗き込む。 先ほどから、だんだんと欠け始めていた太陽は、もうすぐで僅かな輪郭のみを輝かせて月に覆われる。 三井は一旦グラスから眼を離し、時計を確認してから、もう一度覗き込んだ。 2012年 5月21日 午前7時33分。 雲が一時途切れて、見事な金のリングが光り輝く。 後ろでは桜木と水戸、その仲間が一斉にクラッカーと爆竹を打ち鳴らし、周りの生徒をギョッとさせている。 中国のお正月じゃあるまいし・・・と呆れている三井に、今度はクラッカーが向けられて発射された。 「!!!?」 そのクラッカーはなんとバスケ部全員から発射されていて、たちまち三井は色とりどりのカラーテープにまみれた。 「ちょっと早いですけど、三井先輩、お誕生日おめでとうございます!」 彩子がどこに隠し持っていたのか、拡声器で凛とした声を張り上げると、屋上に集まっていた生徒全員から盛大な拍手が贈られる。 更に彩子の友達だというブラスバンドの部長が指揮を執り、ブラスバンド部全体で盛大なハッピーバースデーソングを奏でた。 面喰っている三井に、ニヤニヤと宮城が説明しだす。 「なんとなく素敵でしょ? こういうのって。」 泣いちゃってもいいっすよ? とからかう宮城に、誰が泣くか!と返すのが精一杯だった。 「まあ、取り敢えずバスケ部としてのお祝いはこんなもんで。 予算も無いんで。」 「いや・・・マジで、サンキュ。」 「一番の功労者はお天道さんっすよ。 あ、お月様もね。」 まるで素直にお礼を言われるなど気持ち悪い、とでもいう風に宮城はひらりと手を振り、生徒の輪の中に交じって行った。 5分間に渡る天体ショーも終わりに近づき、部分日食へと変化し出すと、それにつれて生徒も三々五々教室に向かう。 その中にバスケ部も合流し去って行く。 その背中に三井は問いかけた。 「なあ、俺は歳くった分だけ、ちゃんと先輩やれてるか? 少しでもお前らの為になってるか?」 くるりと全員が振り向き、大多数はにこやかに、一人は溜め息を吐き、二人は肩を竦め、後の二人は憎まれ口を叩きながら笑っている。 それを見て、三井も肩を竦め、「おかしなこと訊いてすまんかった。」と笑う。 良くも悪くも今更だと。 来たる夏に全力で立ち向かうしかないのだと。 何が残るか、何を失うかはそこで決まるのだと。 END
2012.5.22 三井誕企画としてHPを三井ジャックなんてことやってました。
当時のページがまだありましたのでリンクさせておきます〜。