向日葵

陵南の夏は神奈川を出ることなく終わった。
例年通り三年生の引退式を終えて他校の二年生よりも少しだけ早く仙道はキャプテンに就任した。

「...暑ちーな」

手の甲で滴り落ちる汗を拭い、そのまま空を見上げる。大きな入道雲が白く大きくその存在を主張していた。ギラリと殺人光線のような陽光が仙道の眼を射る。

「ウオズミさんも枯れちまうなこりゃ。もっと水やっとくか」

体育館の入口付近に今年の春から自然に芽を出した向日葵は優に仙道の身長を越えて大輪の花を咲かせている。
その向日葵にみんなで名前をつけたのは引退式が終わってすぐのことだった。名前の由来は向日葵と同じくらい背の大きい、ビッグ純と呼ばれた先輩にあやかって向日葵先輩・ウオズミさん。

「さぁて」

ジョウロをひっくり返して全ての水を根元にやってからそのまま体育館に上がる。
彼にしては珍しく今日は一番にやってきて部室の鍵を開けた。
奥にジョウロを片してから着替えるべく自身のロッカーを開けて着替えを始める。中にはすでに4番のユニフォームが掛かっていた。
さらりとプリントされた背番号を撫でその重みを実感する。

「やっぱり重いっすね、4番というのは」

陵南にとって魚住が抜けた穴は大きかった。
魚住以上にセンターを任せられる人物はまだいないと田岡監督が悩んでいるのを仙道は知っている。自分がいくらオールラウンダー型の選手だとしても魚住の代わりには足りない。むしろゴール下を守ってくれる魚住がいたからこそ自分はコートを縦横無尽に駆け回ることができていたのだと。

仙道がいるから安心して引退できると魚住に言われた時に仙道は誇らしさよりも不安の方が大きかった。頼れる背中が、存在が急に自分から離れていってしまう恐怖を覚えた。

「どうしても、選抜まで残れませんか?」
「大丈夫だ、お前がみんなを今まで以上に引っ張っていってやってくれ」

引退式の前日、店のカウンターを挟んで交わした会話が蘇ってくる。
次の日の引退式には自分の気持ちを整理するためと、それから少し抗議の意味を含めて敢えて欠席した仙道だった。

***

「わ、仙道一番に来てる。珍しー。今日はこれから雷雨かな」

軽口を叩きながら越野と植草が到着する。
その後ろからのそりと福田も続けてやってきた。

「ウオズミさんに水やった?」
「やった、やった」
「こんな暑いと途中でまた水やった方がいいんじゃね?すぐ乾きそう」

田岡監督が来るまで集まりだしたチーム全員でモップ掛けやスコアボードの準備に勤しむ。チームの核となる二年生は仙道を中心に本日の練習メニューを相談していた。

「監督からは走り込みを中心に...って言うけどこの暑さじゃなー。いつもの周回やったら死人が出るぞ」
「オレ、まだ死にたくねえ」
「オレもー。どうすっかな」
「なー、仙道なんかいいアイデアない?」
「...イメトレ?」
「はい却下ぁー」

キャプテンなんだからしっかりしろよ、と越野にケチをつけられて仙道は眉尻を下げた。

「そうだ仙道。お前副キャプ誰になるか聞いてるか?」

越野が発したその言葉で二年生の間に緊張が走る。

「副キャプ...ってか、むしろオレがキャプテン降りたいくらいで...オレよりキャプテン向いてるヤツ絶対いるし...」
「今更そんなこと言ってんじゃねェよ!お前は魚住さんから直々に後継者指名されたんだろうが!それにチーム全員満場一致で決めたことだろ。他校にもお前がキャプテン就任したってことはとっくのとうに知れ渡ってんだ!意地でも辞めさせねえからな!お前がキャプテンじゃないと困るの!!」

越野に強く言われて仙道は黙ってしまう。彼の中で魚住の引退は思った以上に喪失感が大きく、魚住の後継者として自分は力不足なのではないかとずっと不安を抱えているのだった。

「仙道、確かに魚住さんは偉大な先輩だった。オレ達いつも頼りっぱなしだったよな?副キャプの池上さんにも。でももう二人はいないんだ。これからはオレ達が陵南を引っ張っていかないとな。頼られる先輩になっていかなくちゃな。魚住ロスから頑張って抜け出すしかないんだよ」

自身にも言い聞かせるように植草が仙道を諭す。

「オレはお前以外のキャプテンは認めない」

福田はバッサリと宣言する。越野がオイ!オレはどうよ!?と食ってかかったが鼻で笑われて終わった。

「仙道。もし不安があるなら言えよ。オレら...そりゃ魚住さんや池上さんよりは全く頼りねえかもしんねえけどサ...」
「そうだよ仙道。オレ達ずっとお前にも頼りっぱなしだった。試合でも...だからこれからは力になりたいんだよ!頼ってくれよ!」
「オレがいるから大丈夫だ。コイツらは頼りなくても」

三者三様に仙道に協力を申し出る。
仙道を中心に陵南のこれからを創り上げていきたいという想いは同じだった。
三人は魚住の引退が一番尾を引いているのは仙道であることを見抜いていた。
自分達にできることは何だろうとそれぞれがこの数日悩んだ結果、辿り着いた答えは同じだったらしい。


仙道にはちょうど数日前に田岡と二人きりで話をする時間があった。

「仙道。この書類記入したら渡してくれ。学校側に提出する申請書だ。魚住と池上が引退したので申請し直さねばならん」

田岡が一枚の紙を手渡す。

「でも副キャプまだ決まってないです」

困惑する仙道に田岡がゆっくりと頷いた。

「お前をキャプテンにするのはオレの独断、わがままであり、且つバスケ部の総意だ。お前にはさらに負担をかけてしまうと思うがこれだけは是非受けて欲しい。陵南の新キャプテンはお前しかいない。その代わり...副将の任命はお前に全てを任せる。オレは一切口出しをしないから...これからはお前が陵南、いや神奈川の時代を創るんだ」

そう言って力強く仙道の肩を掴んだ田岡だった。
数日経った今も、いつもはせっかちな田岡が決断を急かしてこないのは総てを仙道に一任すると言ったことの表れなのだろう。
そんなことを思い出しながら仙道はこっそり申請書に自分と副将になる人物の名前を記入した。

***

ガコン、と体育館の鉄扉が開いてその田岡が顔を出した。チースと大きな声がいくつも響き渡る。

「何だあお前達!まだ練習始めとらんのかァ!」

部員達がその怒鳴り声に固まってしまったところで仙道がニコニコと田岡に歩み寄った。

「先生、おはよございます」
「珍しいな、お前が最初からいるなんて。今日はこれから竜巻か?」

仙道は笑顔を崩さないまま三つ折りにした申請書を差し出した。

「ハンコ、下さい。明日提出するんで」
「...決まったのか」
「はい」

パラっとそれを広げて中身を見た田岡の眼が丸く見開かれた。

「これ、でいいのか?」
「ええ。これで頑張って行きたいと思います」
「そうか...お前が決めたことならばな」

サラサラと署名と捺印をして仙道に返される。
それから田岡は部員が集まっている前に立ち咳払いを一つした。

「たった今、仙道によって副将が決定した」

主将・仙道は決定事項であるものの副将が誰になるのかはこのところのバスケ部一番の話題であった。
何かと仙道に近しく物怖じせず意見をしチームのムードメーカーである越野か、冷静でよくバスケを知っており、取りまとめが上手い植草か、それとも仙道のライバルを自負しながらも良き理解者である福田か...どの人物が選ばれても不思議はなく、果たして仙道主将は誰を選ぶのだろうかと部員の間で取り沙汰されていた。仙道主将よりも副将によって今後の陵南の方向性が決まると言っても過言でないとの声もあるほどだ。

コホンともう一つ咳払いをしてワザと間を置いてから厳かに田岡が口を開いた。

「仙道、発表してくれ」

仙道が田岡の隣に立ち、スッと顔を上げた。
それからにっこりと笑って指を指す。三方向に。

「越野、植草、福田。副キャプ頼む。オレを支えてくれ」

名前を呼ばれた三人はお互いに顔を見合わせた。
異例の複数人抜擢に部員達からも驚きの声が上がる。

「おいおいおい!そんなのアリかよ!」
「副キャプが三人なんて聞いたことないよ!?」
「ちゃんと選べ...オレを」

指名された三人も信じられないと仙道に詰め寄った。

「ちゃんと選んだよ?だって魚住さんのようなスゲエ先輩の跡を継がなきゃいけないんだ。それをサポートしてもらうのに一人じゃ足りないよ。副キャプは一人じゃないとダメなんて決まりあったっけ?」

朗らかに笑う仙道に三人は顔を見合わせ、ため息を吐いた。それは了承したとの意味も含まれていた。それに決めたことは意地でも曲げない。意外と頑固なこの主将の性格はこの一年と少しの付き合いで三人とも知っていた。

「仕方ねーな。まぁ、副キャプ①はオレだけど」
「いやいやオレでしょ?一番冷静なオレでしょ?①は」
「実力的にはオレが①...」

その場はザワザワと前例の無い事態に沸いている。それを割くように仙道がパン!と手を叩いた。

「さあこれから大変だよみんな。何たって鬼が三人もいるんだからね。頑張っていこう」

鬼とはなんだ!と早速噛み付く越野を植草が止めて、福田は独りオレの時代...と悦に浸っている。
田岡は途端に湧いてきた不安を一生懸命頭から追い出した。

***

越野・植草・福田の副将就任後初の練習が終わったのは陽もすっかり落ちてからだった。

「それにしてもびっくりしたな。まさか副キャプが三人なんて」

モップをかけながら越野が他の二人に同意を求める。

「ほんとだよね。ウチのキャプテンには驚かされるっていうか...」
「そのキャプテンはどこ行った?」

すると福田が黙って体育館の外を指差す。

「またウオズミさんに水やってんのか。魚住ロスから立ち直れるんかな、アイツ」
「大丈夫でしょ。ウオズミさん枯らしたくないんだよ...ヒマワリって一年草だから絶対枯れちゃうんだけどね...」

残酷な事実を口にしながら植草はバッシュが擦れた床の汚れと闘っていた。

「でも考えたら副キャプ三人の方が仕事分散できていいかもしんねーな。あのぽやーっとしてるキャプテン支えるにゃ」
「そうだねえ。まずはキャプテンのモーニングコールからだね。それは越野頼むね」

冗談じゃねえ!と越野が騒ぎ立てるのを二人は無視してヒマワリを構ってる仙道に声をかけた。

「あまり水をやり過ぎるのもよくないよ」

三人で体育館の階段に腰を下ろす。コンクリートが日中の熱を含んでてまだほんのり暖かい。

「魚住さんが」
「どっちの?」
「人間の方」
「ああ。うん」
「魚住さんが今までオレらの大黒柱だったじゃん。でもこれからはオレらが陵南を支えてかなきゃなんない」
「そうだね。もう引退しちゃったからね」
「この日が来るのはわかってたけど、でも怖かった」
「わかる」
「まさに魚住ロス」
「それな」

ふうと息を吐き出して次の言葉をどう紡ごうかと悩み仙道は後頭部をガリガリと掻いた。

「オレやっぱ魚住さんほど立派じゃねぇし...魚住さんくらいのすげえセンターはまだいねえし...」

だからね、と仙道は左右の二人を見る。

「だからここはみんなで二人三脚、じゃなくてえーと、百足競争でもなくてなんて言うんだっけそう言うの」
「一心同体?」
「一蓮托生」
「それは違うかな」

オレら四字熟語弱いね、と膝を叩きながら仙道が笑った。

「とにかく!一人一人がしっかりと陵南を支えていけば、今は太っい大黒柱が無くても!陵南は立派に成長できると思います!」
「いよっ、よく言ったキャプテン仙道!」
「言うことは立派だ、キャプテン仙道」
「寝坊するなよ、キャプテン仙道!」

いつのまにか越野が後ろからどかっと間に割って座り込んだ。

「いいか、予算ぶん獲ってくるのとか、日誌書くとか、そういうコート外の面倒くせぇことはオレらがやるからよ、仙道!お前はカリスマキャプテンとして頑張れ。お前が生き生きしてりゃみんな付いてくる。それから寝坊すんな。」
「そうだね。仙道が生徒会の魑魅魍魎共と渡り合えるとは思わないし。そこは今までも池上さんが頑張ってくれてたからね。」
「田岡先生も得意分野を活かせって言ってた。他校が襲撃してきたらオレに任せろ」
「武闘派だなあ、福田は」

親指を立てた拳を突き出してくる福田に仙道も自身の拳をぶつけた。

「イエーイ、イェイ、イエイ」

そのままロータッチ、ハイタッチとリズムをつける仙道に福田も黙って合わせる。
お前らホント仲良いのな、とちょっとだけ悔しそうに越野が呟いた。

「仙道のたまに出る変なテンションについていけるのは福田だけだよ。」
「やっぱライバルだとその辺りもわかってくるモンなのか?」
「さあ?」

スクッと植草が立ち上がり伸びを一つする。
越野もそれに合わせて屈伸を二度繰り返して欠伸を発した。

「多分、新体制に移行したのはオレらが一番早いんじゃないかな」
「だよな。海南も湘北もまだIH帰ってきてすぐだろうし三年が何人か残るらしいとも聞いてるし。翔陽は選抜までゴッソリ残るんだろ...受験とか大丈夫なんかな」
「オレらの心配することじゃないよ。オレ達なんてそれらに比べりゃほやほやの産みたて卵みたいなチームだよ。こっちの方が心配だって」

頑張ろうぜ、と越野と植草が固い握手を交わした。
お互いに口には出さねど陵南の常識人は自分でありまとめ役はオレと自負をしている。

「おーい、そこのスコアラー二人!魔貫光殺砲もかめはめ波も出ないからさっさと帰るよ」

暗い中ではしゃいでる二人に呆れたように声をかける植草。ばつが悪そうに仙道と福田が戻ってきた。

「ほら見ろ。オレらに呆れちゃって部員みんな帰っちゃったぞ」

ホワイトボードに「おれたち帰ります カギはヨロシクです」と書き置きされたのを越野がコンコンと叩いて示す。

「んー、じゃあオレ達も解散!」
「じゃぁさー、ラーメン食ってく?」

越野が提案すると仙道はうーんと首を捻った。

「いや、今日オレ寄ってくとこある」
「え、どこ」
「報告しなきゃ。新生陵南爆誕ですよーって」
「ああ、そっか」

そそくさと帰り支度をして部室を出て行く仙道の背中を三人は黙って見送った。
仙道がすっかり夜の闇に消えてしまってからポツリと植草が口を開く。

「重症だね」
「ああ。やっぱり? 魚住ロス?」
「しばらくは掛かるな」

三人は静かに体育館の扉を閉めて鍵を掛けた。
それから傍の前主将の背丈ほどにも伸びた向日葵を見上げる。

「ヒマワリってさァ、太陽を求めて向くって言うけど」
「仙道も同じだね。ずっと魚住さんを追いかけてる」
「ヒマワリは太陽がないと枯れちゃうんだろうなァ」
「仙道も魚住さんないとダメなんだろうよ」
「アイツがヒマワリみたいなモンだな」
「そうだな。背も高いし」

向日葵の中心に仙道の顔が浮かび上がったように見えて三人はゲラゲラと笑った。
当の仙道は電車に飛び乗って魚住の店まで急いでいる頃だろうか。

「オレ達も...仙道いないとダメだもんな」
「そう...だね」

越野が立ち止まって夜空を見上げる。

「太陽って月と違って眩しいよなァ。ずっと見続ければ眼ン玉を灼かれちまう...けど」
「でも、絶対になくちゃならない存在で代わりはないもんね」
「そう。オレ達にとって仙道も同じ...だから」

頑張ろうな、と越野が目配せをすれば二人も小さく頷く。
おずおずと新しい一歩を踏み出した三人の副将の背中を少し早めの秋風が押した。

END
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